
3月2日、3日と連続して運慶仏を拝顔した。
一昨日は「県立金沢文庫」の運慶展を2回目の訪問。地元の仲間により学芸員が特別解説してくれる機会が設定されて出かけた。期間中の2回の特別講演はいずれも落選して残念に思っていたところで、ありがたいお誘いだった。
研修室で小一時間、展示仏を中心とした説明を興味深く聞いた。毘沙門天立像の踏む餓鬼の裏側には、筋肉が彫られていたらしい。すなはち、見えない箇所にも彫刻がなされていたという話です。
1回目は初日だったが、今回は一部入れ替えられている。真如苑の大日如来が入り浄楽寺の諸像が返されてる。真如苑の運慶仏はニューヨークのオークションで十数億円で落札され話題になったが、もとは一般人が数十万円で購入したというから一層の驚きである。
展示の仕方も工夫されて、円成寺大日如来は光背と離され背中からも見られるように展示されていた。博物館ならではの見せ方である。
来客は初日より随分と多い。既に当初予想の倍以上の入館者で、図録も売り切れて三度目の増刷中だそうです。

さて昨日は横須賀市芦名にある浄楽寺の運慶仏を拝顔した。3月3日は年に二回のご開帳の日、仲間と逗子駅からバスにゆられて約30分、運慶仏があると知らなければ素通りしてしまうような小さな寺だった。
裏に回ると収蔵庫がある。ここも沢山の人だ。20分待ちくらいで入ることができた。
脇持を従えた正面の阿弥陀如来は堂々としている。三尊像には金箔もかなり残り、いい環境で後世に伝えられている。両脇に並ぶ毘沙門天と不動明王は、「金沢文庫」でも展示されていた。博物館で見た印象より、はるかに迫力を感じられた。
毘沙門天像の胎内から、三浦一族の和田義盛が発願し、運慶が小仏師とともに造ったとする銘札が見つかり、運慶作であることがわかった。北条氏の氏寺、伊豆の願成就院の運慶仏に対抗して造られたと考えられているが、和田義盛の当時の勢いが想像される。
伝運慶はたくさんあるが、運慶作と断定されている像は数少ない。それゆえに人気もあるのでしょう。
研究者によれば運慶作品候補生と呼ばれるものは幾つかあるようです。また真如苑大日如来のような、新たな運慶仏が出てくる可能性もあるかもしれないですね。
運慶に触れた二日間でした。
posted by いごっそう at 21:23|
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