2011年08月02日

関内で見た神輿

_DSC7074(1)0001.jpg 土曜日に関内の県博に久しぶりに行った。
 特別展「ワーグマンの見た海」をみて、友人から頼んでいた資料をもらい、しばし見通しが見えない卒論の論議。
 先般、予定外の役目を引き受けてしまい、今年は全く動けそうにない。このままだと来年は復学も怪しい状態だが、まあ成るようにしか成らないと半分あきらめている。
 博物館の近くで少し遅いランチを済まし通りに出ると、祭りで馬車道を神輿が練り歩いていた。
 県博の建物は、明治37年建設の旧横浜正金銀行本店で、国の重要文化財に指定されている。
 ビジネス街のビルの間を練り歩くこの祭りは、重文の建物よりはるか前から続いている。
 もしかしてワーグマンも見ただろうか。
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2011年07月01日

横須賀で見た古い建物

_DSC65100001.jpg 看板建築と呼ばれる古い建物があることを最近知った。
 関東大震災以後数多く建設された建物で、そのほとんどは店舗併用住宅であった。
 和風建物であるが、通りに面した外壁面が大きな板を建てたような形状をし、屋根や軒の出が見えないようになっているのが特徴である。その外壁にはタイルや銅版を貼ったものが多い。
 言われてみれば、古い商店街の中にそれらしき建物をたまに見かけることがある。

 写真は横須賀市逸見の中央商店街で撮った「はきものと傘の店 ゴンドラ」という名の店。
 ただの古い壊れそうな建物と見過ごすのはもったいない。これも看板建築のひとつだろうか。下がアーケードになっていてよく見えないのが残念だ。
 出窓のある洒落た造りと緑青が、この町の歴史を物語る。
 この建物は横須賀が海軍の町だったころにカフェだったそうだ。昔の小説に良く出てくる女給のいたカフェで今のカフェとは違う。
 ゴンドラの名前はそこから引き継がれているそうだ。
 二階の窓が少し開いていた。今もゴンドラのような部屋は使われているのだろうか。、
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2011年03月04日

2日連続の運慶

運慶.jpg 3月2日、3日と連続して運慶仏を拝顔した。
 一昨日は「県立金沢文庫」の運慶展を2回目の訪問。地元の仲間により学芸員が特別解説してくれる機会が設定されて出かけた。期間中の2回の特別講演はいずれも落選して残念に思っていたところで、ありがたいお誘いだった。
 研修室で小一時間、展示仏を中心とした説明を興味深く聞いた。毘沙門天立像の踏む餓鬼の裏側には、筋肉が彫られていたらしい。すなはち、見えない箇所にも彫刻がなされていたという話です。

 1回目は初日だったが、今回は一部入れ替えられている。真如苑の大日如来が入り浄楽寺の諸像が返されてる。真如苑の運慶仏はニューヨークのオークションで十数億円で落札され話題になったが、もとは一般人が数十万円で購入したというから一層の驚きである。

 展示の仕方も工夫されて、円成寺大日如来は光背と離され背中からも見られるように展示されていた。博物館ならではの見せ方である。
 来客は初日より随分と多い。既に当初予想の倍以上の入館者で、図録も売り切れて三度目の増刷中だそうです。

_DSC27540001.jpg さて昨日は横須賀市芦名にある浄楽寺の運慶仏を拝顔した。3月3日は年に二回のご開帳の日、仲間と逗子駅からバスにゆられて約30分、運慶仏があると知らなければ素通りしてしまうような小さな寺だった。
 裏に回ると収蔵庫がある。ここも沢山の人だ。20分待ちくらいで入ることができた。
 脇持を従えた正面の阿弥陀如来は堂々としている。三尊像には金箔もかなり残り、いい環境で後世に伝えられている。両脇に並ぶ毘沙門天と不動明王は、「金沢文庫」でも展示されていた。博物館で見た印象より、はるかに迫力を感じられた。

 毘沙門天像の胎内から、三浦一族の和田義盛が発願し、運慶が小仏師とともに造ったとする銘札が見つかり、運慶作であることがわかった。北条氏の氏寺、伊豆の願成就院の運慶仏に対抗して造られたと考えられているが、和田義盛の当時の勢いが想像される。

 伝運慶はたくさんあるが、運慶作と断定されている像は数少ない。それゆえに人気もあるのでしょう。
 研究者によれば運慶作品候補生と呼ばれるものは幾つかあるようです。また真如苑大日如来のような、新たな運慶仏が出てくる可能性もあるかもしれないですね。
運慶に触れた二日間でした。
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2011年01月14日

東博リニューアル特別展示

風神雷神.jpg 東博で本館リニューアル記念の特別展示をやっている。昨日、都内に用があったのでのぞいてきた。
 いつもは平成館でやる企画展ついでのちょい見が多く、1室から20室までを通して歩いたのは初めてだ。東博の所蔵する雪舟の秋冬山水図、北斎の冨嶽三十六景など国宝、重文クラスの名品と呼ばれる作品が特別展示されている。
 あれっと思ったのが、北斎の富士山、いずれの絵も頂きがえらく急峻だ。先日、大観山で富士山の絵を描いている3人の人達のことを思い出した。何れの方の富士山も、目の前の優美な頂きとは違い、はるかに尖っていて不思議に思ったのだ。彼らの目に映る富士山は尖っていたのか、それとも北斎風に描いていたのだろか。
 一回りしていて感じたのだが、自分の場合は美術品として見るより時代背景を考えているようだ。まあ、興味の視点が違うから仕方ない。
 尾形光琳の風神雷神図もあった。よく見る構図だ。カメラペケマークが付いていなかったので撮ってみた。
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2010年12月11日

発掘調査中

_DSC65980001.jpg 先日、鎌倉の小町一丁目を歩いていると発掘調査をやっていた。静かな住宅街の真ん中である。住宅建設の看板と文化財発掘調査中の看板が両方掲げられている。
 鎌倉の地下は遺跡だらけだが、住宅の建て替えの機会がないと調査はできないと某所の方が行っていた。これもその類だろうか?住宅の所有者は大変だろうと思いますが。
 2〜3m掘り下げられているが、石積みされた遺構のようなものが見える。鎌倉時代の誰かの屋敷跡?
 飛鳥の牽午子塚古墳のような話題性はないが、世界遺産登録を目指している古都鎌倉の歴史を伝える埋蔵文化遺産です。
 そういえば、今日は牽午子塚古墳のすぐ南側で見つかった越塚御門古墳の現地説明会でした。あっち方面の友は、たぶん大勢の見学者の中にまぎれているでしょう。
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2010年12月09日

東大寺大仏展

CA3F0143a.jpg 東博の東大寺大仏展も終わりに近づいてきた。
 先日みてきたが、もちろん大仏が来ているわけではない。
 目玉は「国宝八角灯篭」、博物館に展示されると凄く大きい。現地で何度も見ているが、さほど大きな印象が残っていない。その高さは4.6メートルを超えるが、目の前の大仏殿の迫力に隠されてしまうのだろう。
 「西大門勅額」にも圧倒された。額面に刻まれる「金光明四天王護国之寺」は聖武天皇の筆によると伝えられる。縦横およそ3メートル、回りに八体の仏像が張り付けられている。図録にはヒノキ材三枚を剥ぎあわせているとある。
IMG_00020001.jpg 最終室には大仏の再興に尽くした重源上人と公慶上人にかかわる展示があった。大仏は二度の戦火により焼け落ちている。現在の大仏は元禄4年(1691年)に再興されたもので、天平時代の姿をとどめるのは膝よりしたくらい。
 ということは、現存する大仏は鎌倉の方が古いということになる。鎌倉の大仏は建長4年(1252)に完成している。奈良の友人にいつも鎌倉は新しいと言われるが、今度会ったらこの話をしてやらねばと密かに思っています。
 最後に図録を買い、並んで東大寺から来ているお坊さんにご朱印をいただいた。
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2010年11月03日

うべいじゅう

_DSC5777.jpg 11月1日夜、富岡八幡宮で「卯陪従(うべいじゅう)」が執り行われた。昨年、知人について初めて行ったが、所用の帰りで手持ち撮影だった。今年は神事の状況を撮ろうと三脚を持って一人で出かけた。
 20分ほど前についたらビデオを持った方が一人、拝殿に一番近いところに座っているだけ。同じ最前列の席を陣取った。お神楽の仮設舞台も煮えたぎる湯釜もすぐ目の前にある。
 三脚を立てると自由が利かないので、足を伸ばさずに膝の上に乗せてシャッターを押すことにした。開演前にチェック1/30のISO1600に設定した。

 湯立神楽の神事は7時から始まり、能(はのう)から剣舞(けんまい)まで演目は八つ。
 しかしこれはラッキーと思った席だったが・・・!神楽を斜め後ろから見る位置だったことに途中に気がついた。その頃には席は全て埋まり、神事の途中に移動するわけにもいかない。
 およそ1時間、動きが変わるごとにシャッターを押したが、結果は来年の位置取りに期待することになってしまった。
 写真はいまいちだったが、鎌倉時代から続く「卯陪従」は、他では伝承されていない神事です。間近に見られて幸いでした。
 さて演目の一つ、湯座(ゆぐら)では笹の葉で煮えたぎる釜の湯を四方に散らす。しぶきを浴びて1年間の無病息災のご利益をいただいた。
 それなのに帰りの夜道で、つまづいて膝をすりむいてしまったのはお笑い草でした。
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2010年09月04日

汐祭り

_DSC3248.jpg  暑い暑いと言いながら毎日出歩いている。
 9月1日には金沢漁港の汐祭りがあった。昼過ぎに漁船上でお神楽がはじまる。地元の人たちに混じってカメラを持った人たちも多い。
 港でのお神楽だけでも十分に絵になるのだが、この祭りには更におまけが付いている。
 午後1時半には神事のための船が出航した。手作りの木船を沖で海に沈めて、豊漁と漁の安全を祈ると共に、漁で亡くなった人を供養する。
_DSC3230(1).jpg 後を追ってお囃子船、随伴船とともに報道船も出航、この船には我々素人も乗せてくれる。
 海上の神事を見学しながら湾内クルーズ、しかも飲み物サービス付きだ。こんなうれしい祭りは他にはないのでは。
 乗船者に写真を送って欲しいと要請があった。本日、何枚かを見つくろって昼間に届けてきました。
ラベル:金沢漁港 汐祭り
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2010年08月28日

誕生!中国文明展

 東博で「誕生!中国文明」展を開催中だ。ようやく時間が撮れたので昨日行ってきた。会期も残り少ないが、阿修羅や薬師寺ほどの人気はないようで余裕で見ることができた。
IMG.jpg 殷・周・秦・漢・・・何故か妻は中国の王朝をそらんじている。この日見た動物紋飾板は紀元前2000〜1600年ころに栄えた幻の初期王朝、夏の時代のものだ。今日、妻は子供のころに覚えた王朝に夏を追加することになった。

 今回の展示で私の興味をひいたのは玉覆面だった。紀元前9〜前8世紀青洲時代の君主の墓から出てきたもの。遺体の顔にかぶせた布に縫い付けられていた玉で眉、目、鼻、口などと輪郭を58個の玉で表している。風化して変色しているが、本来は青みを帯びた半透明の玉であったと想定されている。
 一見、ポリネシアとかミクロネシアとかの仮面に見えた。よく見ると玉片には小さな穴があいているが、縫い付けるには孔が少ないあるいは孔が見えないのもある。玉片を横から見ると孔らしきものがあった。多分ここに通したんだと技に感心してしまった。頬のあたりの玉片は勾玉の形をしている。耳らしき玉片の右片方はスリットが入っているが左にはないのは何故?いろいろと疑問を抱かせてくれる玉覆面でした。

 展示目玉の金縷玉衣の輝きは思ったほどではなかった。これも風化して元の輝きを失っているのだろうか。傍に置いてあった豚の形と蝉の形の玉は興味をひいた。
 別の場所には蝉を焼いている陶製の炉が展示してあった。同じ時代の別の墓から出土した物だ。何で蝉なのだろうと思ったが、中国では蝉は蘇ると言われているそうだ。これは会場内の玉のアクセサリー売り場の中国人に聞いた話です。
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2010年08月03日

豊浦宮跡・豊浦寺跡

DSC02484.jpg 甘樫の丘でおにぎりを食べたあと自転車で再スタート、しばらく行くと民家が密集した一角に向原寺があった。かっての豊浦寺跡とされる場所だ。
 ここではユニークな話題がいくつかあった。
 直ぐ前の民家の玄関先に推古天皇豊浦宮跡とする碑が建っていた。大正時代に建立されたようだが、余りのことに驚いた。

 豊浦寺跡とされる向原寺の前では何やら工事中、碑には2010年7月23日建立とある。行ったのは7月18日、「伎楽伝来の地」碑の最後の仕上げ中だった。
 古代に百済から伎楽が伝わった場所とされ、23日には韓国の研究者らが来て除幕式をするとのこと。帰りにはシートで隠されていたので、公開前の貴重なタイミングだったことになる。

DSC02486(1).jpg  DSC02487.jpg 境内には伽藍の遺構の一部が発掘時の姿で保存されている。飛鳥の歴史から始まり延々と続く住職の説明を、先の工程を心配しながら聞いた。
 お堂のなかには発掘中の写真の他、観音菩薩像の写真があった。頭部は飛鳥時代のものだが、残念ながら昭和49年に盗まれ御帰りを待っているとのこと。

 なお今回見聞きした内容は、日本書紀の記述がベースになっている。
 この地域の民家の下は飛鳥時代の遺跡だらけなのでしょうが、直ぐに発掘するわけにもいかず、どこまでが事実を伝えているのかはよく分かっていない。
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2010年07月30日

本薬師寺跡

DSC02450.jpg 橿原神宮から飛鳥までレンタサイクルでまわったのは、梅雨明けすぐの暑い日だった。
 最初に向かったのが本薬師寺跡、藤原京に都が置かれていた時代に薬師寺のあった場所である。
 天武天皇が発願し持統天皇が698年に完成させた。平城京遷都にともない、前日行った西ノ京の薬師寺が建立されたのが718年、その後も暫らくは伽藍の一部を残していたが、いつしか廃寺になったとされる。 
DSC02455.jpg 今は質素なお堂が残るだけだが、金堂跡や東西両塔跡に幾つか残る礎石が、往時は大寺院として栄えたことを偲ばせる。
 湿地のなかの西塔跡はホテイアオイで囲まれていた。
 花の時期には早すぎたが、友人によれば8月中旬には一面の花畑になりとてもきれいだそうだ。今頃は少し咲いているだろうか。
 
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2010年07月27日

夏の薬師寺つづき


_DSC2420_東塔.jpg _DSC2394.jpg 朝、近くの眼科に行ったら、もう先客が5人ほど並んでいた。
 並んだ場所は日射しの中、10分ほどだが暑いというよりは熱いが適当だった。

 猛暑日、熱帯夜が続き熱射病で倒れる人が増えているようだ。
 最近は部屋のなかでも熱射病になることもあるようだ。水分補給に気をつけよう。

 先日の薬師寺の続き。大池をぐるりと回り薬師寺で仲間と合流、ここでも夏空の東塔を撮ってみた。大講堂の裏にはハスの鉢も並んでいた。
 この日も何処にいても暑い一日でした。
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2010年07月25日

夏の薬師寺五重塔

_DSC2223_edited-3.jpg 先週の三連休は、学校仲間とまた奈良でした。
 みんなと合流する前に西ノ京の大池に向かった。
 1300年の歴史を持つ薬師寺東塔が今年解体修理に入る。
 このため10年ほどは西塔と並び立つ二塔の姿は見られなくなる。
 どうしても見ておきたいと思っていた。
 真夏の日差しを受けながら歩いたのは、およそ20分くらいだろうか。
 大池越しの薬師寺が見え始めた。
 護岸を行ったり来たりしながらシャッターを押した。
 季節は違うが、三越で見た入江泰吉写真と同じように見える場所にもたどりついた。
 また10年先に、この姿が見られたら感激ものですね。
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2010年07月02日

曹源寺

_DSC1951.jpg 奈良紀行からちょっと脱線。
 三浦半島の衣笠にある曹源寺は、行基早創を伝える古刹で創建は奈良時代に遡る。
 金堂、三重塔、僧坊、薬師堂などの存在が確認されており、法隆寺形式の伽藍配置の威容を誇る大寺院だったと推察されている。
 昨日は古東海道沿いの古刹を歩いたのだが、そのうちのひとつである。曹源寺に着いたのは13時過ぎ、暑さがこたえる時間だった。
 階段を上がると本堂の屋根の上は夏の空、「唐招提寺の大屋根の夏空」を思い出しカメラを向けた。
 自分の部屋に奈良の友人からもらった入江泰吉写真のカレンダーをかけてある。今月の写真が唐招提寺の大屋根。帰ってきて眺めると、やっぱり雲泥の違いがありました。

ラベル:曹源寺 三浦半島
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2010年06月04日

腰越の満福寺

_DSC0852.jpg 鎌倉から江ノ電で20分ほど行った腰越駅の近くに満福寺がある。
 壇の浦で平家を滅ぼした義経が鎌倉へ入ることを許されず、頼朝への心情をつづった腰越状を書いたとされる歴史上の場所である。
 弁慶が書いた腰越状の下書きとされるものが展示されていた。『吾妻鏡』に載る腰越状も真偽のほどに様々な議論があり、ここにある腰越状も後世に脚色されたものであろうという。傍には版木も展示されていたが、あれは何だったのだろう。
 それより、この寺で目を惹くのは鎌倉彫りである。襖には弁慶や義経にかかる物語が描かれていた。鎌倉彫りで龍を描いた天井絵も見事であった。
posted by いごっそう at 13:40| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史・学校 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年05月28日

三殿台遺跡

CA3F0049.jpg 三殿台遺跡は横浜市磯子区岡村にある縄文・弥生・古墳時代のムラの跡です。
 広場にタンポポやシロツメクサが咲いていた。カヤブキの復元住居と相まって、なかなかのどかな風景をかもしだしている。
 考えてみれば何れも外来種で、大昔に縄文人や弥生人が住んでいたころはありえなかった風景です。

 貴重な遺跡ではあるか訪れる人が多いわけではない。時々隠れた訪問者が現れる。「ゆず」の公園がある前後に現れる若い女性たちだ。
 残念ながら、国の指定史跡としてより「ゆず」の聖地としてのほうが名が売れているようだ。
 昭和36年に本格的な発掘調査がなされてから、もうすぐ100年が経つ。発掘100年の企画展も計画されているようだ。
ラベル:三殿台 ゆず 遺跡
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2010年05月20日

花の国にも古墳

 CA3F0040.jpg 昨日、古久里浜湾周辺の遺跡をめぐる機会を得た。久里浜駅から歩き始め八幡神社遺跡群を皮切りにいくつかを歩いた。
 ポピーが咲き競う久里浜花の国のなかにも、台の坂古墳と呼ばれる古墳があった。6世紀の築造といわれる直径7メートルほどの小さな円墳で鉄剣が見つかっている。
 遊歩道から藪の中に少し入った斜面の手前にある。こんもりと盛り上がる形状から古墳だと言われるとそうかなという感じのものであった。
 誰も立ち入らない場所なので珍しく現況保存されている。
 近辺には古墳時代後期の竪穴式住居跡があるようだが、被葬者との関係は分かっていない。
 最後に丸木舟の出土した伝福寺裏遺跡にいき、フェリー乗り場近くで解散した。
 全部で10か所近く回ったが、いずれも表示板等はない。昨年、遺跡地図を手に三浦半島あちこち歩きはじめたが、場所を特定するのはほとんどできなかった。やはり、一人で歩くのは難しいことがよくわかった。
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2010年03月09日

奈良時代45日間一周

 このごろ奈良の番組が多い。平城京遷都1300年が引き金になっているのだろう。今月からはBSで「奈良時代45日間一周」という番組をやっている。
 イケメン俳優が専門家に聞きながら、奈良時代の出来事を順に紹介していく。毎朝8時から、たったの15分だけだが、軽くもなく重くもなく妙に納得しながら見ている。

 昨日のテーマは遣唐使船だったが、見覚えのある顔が登場した。土曜日に受けた試験の担当のT教授です。
 あとで気がついた土曜日の失敗が一つある。たぶん余白に書いたキーワードを消し忘れた。きっちりしてないと駄目みたいな教授の目にはどう映るか。でもテレビに映った顔は優しそうでした。

 遣唐使船は20回のうち7回も遭難したそうだ。航海の無事を祈願したという海龍王寺は「仏像大好き」でも十一面観音が紹介されていた。次に奈良に行ったときには立ち寄ってみたいと思う。
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2010年03月06日

雨の巣鴨で科目試験

DSC087080001.jpg 一年ぶりに科目試験を受けてきた。あの怖い(ように見える?)T教授の史料学概論です。解答案を作るのに苦労したけど、何とか10問分を頭に詰め込んだ。
 設題番号は10番、テキストの最終項目の「天平美人の装身具」から解答案を準備した問題だ。
 いつものように頭に入れていたキーワードを余白に殴り書き、文脈を思い出しながら解答欄に書き込んだ。準備していた解答案は1000字弱、9割方は吐き出せたようだ。
 いつものことだが、最大の問題は解答案が的を得ていたかどうか。結果は1ヵ月先の楽しみです。

 試験の後、庚申塚通り、地藏通りを抜けて巣鴨まで歩いた。雨のとげぬき地藏の門前には、いつものように托鉢のお坊さんが立っていた。

 さて、テキスト単位は科目試験を一つ残すだけですが、今年度やりかけた卒論は道筋が見えなくなり沈没。
 見通しがついていないので来年度は休学にした。再構築するか、テーマを変えるか、急ぐつもりもないが辞めるつもりもない。
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2010年02月19日

現代の金石文

DSC083680001.jpg 三浦海岸駅からほど近い河津桜が咲く場所に、「小松ヶ池は古来より、当組合専用にかかる農業用灌漑池にして・・・」にはじまる大きな「記念碑」があった。
 小松ヶ池水利組合員等55名が三浦市との水利権、並びに所有権確認訴訟の結果、昭和54年に和解が成立し、その和解内容を残した石碑である。
 裏面には組合全員と弁護士の名前も刻まれている。そこに係わった人たちの想いと歴史の重みが伝わってくるようである。

 いま古代史概論の試験勉強をはじめているが、これも金石文に相当する現代の石碑であろう。
 個人の功績を讃えたものや、何々跡という記念碑などは良く見かけるが、訴訟記録の石碑は珍しいのではないか。碑文にあるように、小松ヶ池の水利保全と一般市民の自由な池の利用が、共に続くように祈りたい。 

 西洋史概論にもダレイオス1世が自己の業績を記した碑文が出てきた。他にロゼッタストーン、好太王碑も有名な金石文だ。自分たちの歴史や功績を後世に伝えたいとする想いは、昔も今も変わらない。
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